【読書】山月記:高校生の時とは別な読み方を…
【総評】道徳的読み方に違和感をもった高校時代とは違う読み方をした。異論は認める。
「驕ってはいけない」という感想が、学生的には正解なのでないか。Amazonにもそんなブックレビューが多い。
ちがうのではないかと。
彼は、才能のある人間であり、それを驕るのはまあ、やむを得ない。気の毒なのは、天才ではないことではないのではないか。
さらに悲劇なのは、自分が天才でないことが、なまじっか才能があるがためにそれが残酷なまでに分かってしまうことだと考える。
世間知があれば適当なところで折り合いをつけることが可能であるとは思うのだが、自分の才能は常人より数段上(ただし、天才ではない)ため、ひっこみがつかなくなってしまうという現実。
才能がないほうが世間とうまくやっていけるという不条理。
努力で一流になることは可能だと思うのだが、天才にはなれない。ただ李徴はそれを求めていたのでは。その際、才能の限界は残酷までに李徴を蝕むことは想像に難くない。
自分より劣るものが、その才を磨いたために…というくだりがあるが、李徴がそれで満足できるはずもないのではないか。後半は、それの自己弁護(ここにも、彼の欺瞞がある)が続く。
決して後味のよい終わり方ではない。しかし、社会人となったら、もう一度今の自分の価値観で読んでみるべきだと思う。私の読み方はおそらくひねくれているかもしれないが、様々な読み方ができると思うし、それに耐えられる名作だと思う。